まえがき 実に6年ぶりの山奥オフを終えた。あぁ楽しかった。またやりたい。こんな気持ちは久々だ。ブログを更新してやってもいいくらいだ。
ただ、詳細を事細かに記そうとは思っていない。忘れ去られた吹き溜まりで書く駄文は第三者には伝わらないくらいでちょうどいいはずだ。だから本人とは関係のない(あるいはなさそうな)イニシャルを用いる。そこから特定の人物を想起するもしないも自由だ。もしかしたら存在しない人物をいたことにして書いているかもしれない。嘘が混じっているかもしれない。全部嘘かもしれない。
……そもそもこの更新に気付く人がいなくてもいい。僕にはただ書く喜びがあるだけで、彼らには読む喜びがあるだけ。それでいいのだと思う。VolkswagenのGolfを乗りこなす彼がそうしたように。
プロローグ 「自分の室に帰って来た時は最早酔がまわって苦しくてたまらぬ。試験の用意などは思いもつかぬので、その晩はそれきり寐てしまった。すると翌日の試験には満点百のものをようよう十四点だけもらった。十四点とは余り例のない事だ。酒も悪いが先生もひどいや。」
正岡子規『酒』
始まりには気付かなかった。Hが今更あのときのことをブログに書いているなんて、僕がこの世界から身を引いていなくても気付かないだろう。ただ、それを本人が伝えてくれるあたり、ある程度はスペシャルな関係を築けていたのだなと喜べる。
さて、そのブログ記事は一人の男の心を動かした。
最近、周りに無感動な男性が増えたように思う。例に漏れず僕もその一人だと自覚している。大人になることとは鈍感になることなのかもしれない。
男らしさとは何か、未だによくわからないが、感情豊かであることと、それを表現することが良い男の条件の一つであるのは何も平安時代だけではない。男なら泣くな、なんて言い回しは粋かもしれないが下品だ。
今回に限らず、毎回何かしらに心を動かすCは、涙こそ流さないが無垢な子供のような内面を持っている。感動し、共感し、行動するのだ。手間や都合のような、そんな些末なものは彼の心が訴える衝動の前では意味をなさない。
Hの記事を読んだ彼がどのような感情を持ったのか僕には推し量りきれないが、とにかく彼は、我々を山奥にある実家に集める気になったようだった。
そこから、いくつかのメッセージをやり取りしたが、日程以外は何も決まらないままに前日の夜を迎え、僕は職場の飲み会へ向かい、記憶が削れるほど酒を飲み、終電の時刻を過ぎたあたりで抜け出し、運良く遅延していた終電に乗り込んだ。
アルコールに侵された脳は帰ってからのことを考える。シャワー、荷造り、睡眠。あぁそうだ、あの一升瓶を持っていこう。獺祭。良いお酒だ。
しかし疲れていた。いっそ、この企画は冗談であってほしいと、少しだけ思った。車窓に映る自分の姿が、闇に溶けていくように見えた。
揺れるロープ 「―椰子の花や竹の中に
仏陀はとうに眠っている。
路ばたに枯れた無花果といっしょに
基督ももう死んだらしい
しかし我々は休まなければならぬ
たとい芝居の背景の前にも
(そのまた背景の裏を見れば、
継ぎはぎだらけのカンヴァスばかりだ?)―」
芥川龍之介『河童』
山奥オフの朝は早い……なんてことはなく、11時に東京駅集合という優しいものだった。後述するが、これには理由がある。
久々にSaint Laurentのデニムを履き、BALMAIN HOMMEのカットソーに袖を通した。キャリーバッグを引きずりながら、無事に6分遅れで東京駅に到着し、数年ぶりに顔を合わせたにも関わらず素っ気無い挨拶を交わし、新幹線に乗り込んだ。少し待たせたことについては謝罪しなかった。
新幹線の混雑具合を懸念していたが、驚いたことに空席が点在していた。しかし、3人揃いで座ることはできなかったため立ったまま運んでもらうことを選択した。会話のために不便を選んだのだ。僕たちは仲がよかったし、まだ元気だった。
一時間半ほどで三島に到着した。結婚式のときに降り立って以来来ていない。懐かしかった。ここでようやく山奥に行く実感が湧いてきたように思う。しかしまだまだ道半ば。これからが本番だった。
沼津まで移動し、金沢から車で移動してきている(これが理由だ)Hに連絡を取り、合流した。彼のGolfに乗り込み、最果てへの旅が始まった。ちなみに、終わりまでH以外がハンドルを握ることは一度もなかった。彼はよくやった。僕たちは楽だった。
車内のBGMは6年前の山奥メンバーが選曲した複数枚のCD。天気は快晴。気心の知れた面子。新車並みに綺麗な車。文句なしの旅だった。時刻は13時。朝5時から運転しているH以外は元気だった。
海鮮に舌鼓を打ち、滝を見て、わさびソフトの味に驚き、天城で左右に振られ、TOM FORDのサングラス越しに静岡の景色を満喫した。
寄り道をしながらも我々は山奥へ向かっている。だから、どう見ても一方通行の狭さの山道を戦々恐々としながら突き進み、対向車に出会えば崖ギリギリを攻め、無駄に多いトンネルを走り抜けた。
「トンネル作った奴って頭おかしいよな。普通山ぶち抜くか?」
僕の戯言に後ろの二人が同意する。PRADAのサングラスを外しながら運転手は笑った。
間違いなく、最高に楽しかった。
電波の入りが悪くなり始めた頃、人にも車にも出会わなくなってきた。そして、長い林を抜けると山奥であった。
懐かしい家構えである。僕たちはここで出会い、再会し、別れてきた。視界がセピア色に染まる。虫の声が身体に染みる。
荷物を降ろし、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込む。こんな何もない辺鄙な場所で何をしようか。まだ何も決まっていなかった。時刻は17時。まだ明るい。うんざりするほどに自由だった。
Hはもうダメだった。疲れもあったからか浸っていた。一人でぼんやりと歩き回り、時折腰掛けてはため息をついていた。面白かったので一枚写真を撮ったが、ずいぶんとかっこよく写っていた。
CとGは何をしていたか覚えていない。なんだかんだ僕もこの場所に浸っていたのだろう。
予め買っておいた食材を冷蔵庫に入れ、お土産のキリン一番絞りをダンボールでプレゼントした。
部屋でくつろいで、山奥の思い出話をした。どこを切り取っても面白かった。将来、きっと今日のことも話すのだろう。次々と現れる見慣れない虫に気も留めず、空白を埋めるように言葉を交わした。
気付いたら家の前で火が焚かれていた。Cのご母堂のおかげだ。昔から僕たちはここのことを食卓と呼んでいる。テーブルも屋根もないが、椅子のようなものと薪と、鉄板と、網がある。火があればもう誰にも文句はつけられない。
そこからはもう酒を飲んで肉と野菜を焼くだけだ。最後には焼きそばもやった。最高だった。火が弱くなると4人揃って息を吹きかけた。するとGがおかしくてたまらないというふうに笑って言った
「そうそうたる顔ぶれがフーフーしている様子、面白いな」
僕たち3人は彼に目線だけ送り、フーフーと返事をした。酸欠でクラクラした。
食事を終え、片付け組と洗い物組に分かれた。
僕とGが洗い物組だった。当然洗剤などない。水とブラシでこの油まみれの鉄板と網を綺麗にしなくてはならない。始める前から諦めそうになったが、やらねばなるまい。必死に鉄板をこすった。狂ったように網をこすった。何度か水で流すと、存外、綺麗になっていた。
「こんなもんかな」
「これにはジョイ君もびっくりやで」
山奥の静かな夜に、僕の笑い声が響いた。
少し休憩をしてから散歩に向かった。恒例行事だ。
嘘のように明るい月がかろうじて舗装されている道を照らしていた。古来、明かりを「かげ」と呼んでいた日本人の気持ちがわかったような気がした。
今回の目的地は、過去にCの父が天然ブランコを作った広場。森の中にブランコがぶらさがっている様子は気分を高揚させる。また乗りたい一心で草木をかきわけ、暗い森の中を進んだ。
視界が開けたときに果たしてブランコはあった。ただ、以前とは異なっていた。異様な光景だった。
確か、ブランコは一つしかない。が、今回は大小一つずつあった。加えて何故か多くの樹が切り倒されていた。何よりも異様なのはロープの数だ。おびただしい数のロープが木々にぶらさがって揺れていた。―――先端には輪が結ばれて。
誰が?なんのために?……わからない。否応なく首吊りを想起させるその光景は背筋を凍らせた。ましてや月明かりしかない森のなかである。はっきり言う。怖かった。
しかしせっかく来たので僕はブランコに乗った。切り倒された樹が邪魔で、気分良く漕げなかった。
恐怖と不満を抱えたまま森を後にした。家に着いてからは持って来た獺祭を飲みながらトランプに興じた。様々なゲームをしたが、今回のヒットは間違いなく7並べだろう。妙に盛り上がった。フルーティな日本酒のおかげかもしれない。
夜も更けてきたところで切り上げて、山奥名物五右衛門風呂を楽しむ時間となった。一時間ほどで順番が回ってきた。僕が最後だ。
疲れと汚れと汗を洗い流し、冷めてきたお湯につかりながら考えた。あのロープの結び目は首吊りのそれではなかった。丸太をくくりつけて、新たなブランコを作るためのものだろう。しかしちょうどいい丸太がなかった。そして切り倒された樹。……おそらく、答えは出た。
どこか寂しく思った。誰かがくくりつけたあのロープは今も役割を果たせないままで揺れている。そしてきっと忘れられている。我々はどうだろうか。僕はどうだろうか。
案の定温まることはできないままに部屋に戻ると、全員眠りに落ちる寸前というところだった。そっと電気を消して、布団に潜り込んだ。月明かりが木漏れ日のように差し込んでいた。目を閉じると虫の鳴き声が遠くなった。
眠る獺祭「金や物を与える人間は大勢いますが、時間と愛情を与える人間は数少ないのです。」
ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』
自然と9時半ごろに目を覚ました。顔を洗って、歯を磨いて、Hと二人で「食卓」に座ってパンをかじっているとCも起きてきた。さて今日は何をしようかと話していると、Gも目覚めた。これは珍しいことだ。彼は一度眠ると死んだように起きないからだ。
このとき、老犬のボノが僕らの寝床を守るようにして座っていたのが印象的だ。特に深い理由はないが、僕はこの犬に愛着がある。きっと僕だけではない。10年以上前から成犬としてこの場所で生きているボノはいつだって僕たちと山を歩いた。どんな時間に山歩きに出かけても、颯爽と僕らを追い抜き、山へ消えた。家に戻ろうとするとまたどこからか現れ、共に帰るのだ。しかし今はもうそんなことはできなくなっていた。足取りはフラフラで、目は白く濁り、食事も少なくなり、眠る時間が増えた。先は長くない。仕方のないことだ。しかし、時折毅然とした表情でいることがある。このときもそうだった。
そんなボノを横目に、ゴロゴロしながら話し合った結果、とりあえず港へ出ることにした。そこで昼食をとり、ロープウェイでまた別の山に登ろうというプランだ。
車で数十分かけて港へ出ると、多くの人で賑わっていた。特に何のイベントがあるわけでもなく、ただ海があるだけなのに。
ここは金目鯛をウリにしているようなのでそれを食べることにしたはいいが、人気店は混み合っていてとても無理だった。だから屋台が出していた金目コロッケとやらに手を出した。僕はこういうのに弱い。とりあえず買ってしまう。
わさびの茎を使ったマヨネーズにつけて食べるのだが、これがやたらと美味かった。しかしこれだけでは腹は膨れない。続いて目をつけたのが金目バーガーのお店だ。コロッケを先に食べたのは間違いだったのではないかと話しながら注文した。
やたらと大きいハンバーガーを受け取り、各々写真を撮ってからかぶりついた。これも美味い。美味いが、後半は戦いのようになっていた。全員ギリギリで完食し、満腹のあまり少し前かがみになりながら車に乗り込み、ロープウェイを目指した。
僕は実は10年ほど前に一度来たことがある。当然Cも一緒だった。懐かしみながら受付に1000円ちょっとを支払う。値段ほどの価値がないことを知りながら。
満員電車のようなロープウェイを堪能し、山ではお粗末な迷路や、森の小路という変に過酷なルートを楽しんだ。多分一度も正規のルートを通らなかった。HとGはこのとき既に疲れていたように思う。軟弱な奴らだ。
散策が終わり、下山して、麓のスーパーで買い物をした。Hは何故かファッションセンターしまむらとダイソーがある二階に消えていった。
大量の肉をカゴに入れた。合計1.2キロだったと思う。それと大量のモヤシ、少々の野菜、バドワイザー、カナディアンクラブ、氷、菓子パン。食事が雑になってきたのは重々承知している。それよりも酒を飲みたかった。
買い物の最中、強力そうなブラシを見かけたのでGに購入を提案した。
「ジョイ君が顔を青くして倒れるレベル」
彼のセンスに笑いを送ったが、結局買わなかった。僕らには「ジョイ君もびっくり」で十分だ。
何も買わずに降りてきたHを迎え、家に帰った。まだ15時である。
時刻や空の明るさは酒を飲まない理由にはならないのでバドワイザーを喉に流し込み、古い畳に寝そべって各々が自由に過ごした。17時頃に散歩へ出かけることにした。森の小路程度では我々の山への欲求(?)を静めることはできなかったのだ。
結論から言うとこれは過酷だった。危険だった。獣道ですらない、斜度のきつい山を装備無しで登ったのだから。その道の人に怒られても仕方ないと思う。
このときの僕の装備はジャージ、コンバースのジャックパーセル、獺祭だ。何故日本酒の一升瓶を持っているのかって?面白いからに決まっているじゃないか。喉が渇いたら飲むこともできる。しかしおすすめはしない。片手が塞がって危なかったからだ。
ちなみにHはこんなルートを通るとは思っていなかったらしくサンダルだった。何度か死にかけていた。縛りプレイ仲間である。
登頂すると達成感と景色がすごかった。当たり前の話だが、もっと高い山があるのだと見せつけられた。獺祭を回し飲み、空にした。
ここで僕たちは少し悪いことをした。ここに告白する。
この獺祭の空き瓶をそこに置いてきたのだ。言い訳するようだが、捨てたわけではない。この誰も踏み入れることがないであろう場所に、再び来ようという誓いとして置いてきたのだ。動かないように半分ほど埋め、落ちていた枝で固定した。写真を撮ったが、やたらとシュールな画だった。
次にここに来るのはいつになるだろうか。どんなメンバーになるだろうか。きっとボノは生きていないだろう。もしかしたら、彼の子供が一緒かもしれない。危ないからダメだろうか。そんなことを話しながら山頂を後にした。
行きはよいよい帰りは怖い。まさにその通りだった。何度滑り落ちそうになったことか。Cは途中、指輪を外し、僕に預けた瞬間があった。そのくらい怖かったのだ。しかし僕のほうが死ぬとは考えなかったのだろうか。謎の信用である。
下山し、無事に持ち主の元へ指輪を返し、また別の山道を歩いた。僕とCだけは洋々と歩き、HとGは鬱々と歩いた。変な進化を遂げた松ぼっくりを拾いつつ、足取りの重い二人の限界ギリギリまで歩いた。連れまわし過ぎて、少し恨まれたと思う。
家に帰ると一台車が増えていた。Cの叔父と姉と、その子供が来ていた。子供はまだ赤ん坊だったので、間もなく父となるCは練習として抱かされていた。僕らも抱いてみないかと提案していただいたが、汗をかいていたのと、なんとなく怖かったので遠慮させていただいた。僕らにはまだそんな資格がないのだと呟いて。
いつまでこうして逃げるのだろう。いつか我が子を抱く日が来てもおかしくないというのに。抱いておけばよかったかもしれないと思えたのは、東京に帰ってからだった。
その後は、カナディアンクラブをストレートで流し込む罰ゲームを加えて、再びトランプを投げあった。アルコールで胃が熱くなってきたところで夕食をとることにした。
代わり映えのしない夕食風景だったが、C姉が海老や帆立を差し入れてくださったので、遥かに豪華になった。
ちなみに、今までもずっと言ってきたが、彼の姉は美人である。相変わらず美人だった。しかし赤ん坊を連れてくるようになるとは、月日が流れていることを改めて強く感じた。
彼女にお礼を言い、おすそ分けを渡し、初日と同じ組分けで食卓を片付ける。鉄板洗いも慣れたものである。
「こんなもんでどうだ」
「これにはジョイ君もにっこり」
またもや、笑い声が闇に溶けていった。
それからまたトランプをして、カナディアンクラブを流し込んだ。もう罰ゲームは機能しておらず、各々好きに飲んでいた。
酔いが回ったあたりでまた散歩に出た。この日はいったい何歩歩いたのだろうか。Hは絶望した表情で「俺はアカギ、俺はアカギ」と呟いていた。狂気の沙汰ほど面白いと思い込むためのようだ。彼の顔を見ると、まだ嫌そうな顔をしていた。アカギの領域は未だ遠い。
山道をただただ歩いた。月明かりを避けるように、暗い道を突き進んだ。酔いが醒めてくると、様々な気配を感じることができるようになった。猪が踏み荒らす草木の揺れに目を凝らし、人間の来訪を警戒し合う猿の鳴き声に耳を澄まし、目をそらしたくなるほどに明るい月が照らす途切れ途切れの道を歩くと肌が泡立った。自分の中の「何か」が冴え渡るのを感じた。そして気付く、身の危険を感じていることに。身体が生きようとしていることに。夜は人の生きる時間じゃないのだと気付くのだ。楽しそうだろう。そうだろう。
そうして、変な話、「生」を実感した。
日付が変わる頃に帰宅し、お風呂へ行った。今回は二番手。かなり熱いお湯だった。芯まで温められた。初日とは違い、何も考えられなかった。
遅くとも明日の朝9時にはここを去るという話を聞きながら、目の前にいたムカデを殺した。安心して布団を用意しつつ、様々な命を意識する日だな、と気付き、山頂に置いてきた獺祭に思いを馳せる。
いつか取りに行く。いや、いつかとは言わず、次来たときには必ず。
産まれてきた命に、これから産まれてくる命に、そして、近い将来幕を閉じる命に誓った。
今もまだ、獺祭は眠っている。
カワウソの祈り「良い経験になった、という言葉で、人はなんでも肯定してしまうけれど、人間って、経験するために生きているのだろうか。今、僕がやっていることは、ただ経験すれば良いだけのものなんだろうか。」
森博嗣『キシマ先生の静かな世界』
7時に叩き起こされ、帰るための荷造りを始めた。Gがずっと歯ブラシを探していたが、結局見つからなかった。
予定よりも早く、8時過ぎに家を出た。名残惜しかったが、どうせまた来ると自分に言い聞かせ、足を進めた。だがそれでも後ろ髪を引くのはボノの存在だった。眠っていたため、別れを告げることができなかった。それで良かったと思う自分が嫌だ。避けることのできない最後の別れを避けたつもりになっているようで。
最後に、以前までは毎度世話になっていた最寄り駅に寄り、Hとともに懐かしんだ。ただの改札がこんなにも愛おしいなんて。未だに有人改札で、手で切符を切っているようだった。
休憩を挟みながらも、少しずつ、だが確かに終わりに向かっていた。行きの道を巻き戻すかのように帰った。6年前のCDが2週目に入った頃、沼津に着いた。Hとはここまでだ。
いつもどおり、あっさりとした挨拶としっかりとした握手を交わし、背を向けた。振り返らなかったような気がする。彼はここからまた数時間運転するのかと思うと、苦笑が漏れた。
切符を買い、電車に乗り込み、昼食のために三島で降りた。Gが切符を無駄にしていた。
昼過ぎの新幹線に乗り込み東京を目指した。今度は三人並んで座ったが、一言も喋らなかった。行きとは全く違う。しかし、依然として僕たちは仲がいい。ただ、もう元気がなかったのだ。
少し眠っていたら、Gが降りる駅に着いたので別れを告げた。彼が使う路線は事故か何かで完全に死んでいたようだが、無事に帰れたのだろうか。まったく、災難な男だ。
また少し眠り、東京に着いた。向かう先が違ったので、ホーム上でCに別れを告げた。近々、彼の子供が産まれたら家に行くと約束した。
これでおしまいだ。あとは家に帰るだけ。一人になった僕は歩き出す。
―――獺祭とは、カワウソの習性のことを指す。とった魚を周りに広げる様子が、神に供え物をする祭儀のようであったからそう名付けられたのだそうだ。
あの山の上で、獺祭の空き瓶を置いた僕たちも、似たようなものだったのかもしれない。あのとき、誰かが何かを祈っただろうか。誓いはすれども、祈りはしていないはずだ。もう遅いかもしれないが、僕は祈る。このメンバーの再会と、優しく、勇敢な森の案内犬の幸せを。
自動改札機に2枚の切符が吸い込まれて消えた。もう出てこない。
僕は電車に乗らず駅を出た。うだるような暑さの中、泥だらけの靴が丸の内の硬いアスファルトを踏みしめる。
何もかもが違う。ビルに囲まれていると山を忘れてしまいそうだ。だから、せめて何か少しでも書き留めておこうと思った。
喧騒の中、メモ帳を開いて、狭くなった空を見上げると、髪の毛から古い畳の匂いがした。
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